ペルー

アマゾンのハンモック船で見た地獄【ペルー】

 

ペルーでハンモック船に乗り、

5泊6日で「プカルパ」から「イキトス」に移動した時の悲劇の話です。

 

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ハンモック船とは

 

ハンモック船とは、ナスDが乗ったことで結構有名になった、アマゾン地域の川を移動するローカル客船です。

屈強なオネエコックを密着取材してたり、寝不足+アル中で倒れてたあの船です(見た人はわかるはず)。

 

 

船内に乗客がハンモックをかけ、何日かかけて川を移動し、村から村へと移動します。

 

アマゾン地域にこのような船はたくさんあるのですが、

今回書くのは、ペルーの「ウカヤリ川」を「プカルパ」から北上して、「イキトス」に向かう船に乗った時の話です。

 
 

地獄旅の始まり

 
 
ここからは、体調不良で瀕死状態の中、
記録を残すために必死に記したメモ書きです。
 
どれだけ辛かったかがよりリアルに伝わりそうなので、そのまま載せます。
 
下品な話が多々出てきますが、ご了承ください。
 
 
※わかりやすくするために、写真やエフェクト等は入れています
 
 

死に損ないの必死メモ

 
 
7月13日(金)16時
プカルパを出発。
 
予定の2時間遅れで出発。
 
 
最悪すぎる体調。
食中毒になったのか、下痢が止まらない。
熱もあるみたいで、悪寒で凍えそうになったり、水風呂をお湯にできるくらいの熱持ちを繰り返す。
 
何が当たったんだろう。
魚かなぁ。フルーツかなぁ。魚煮てあったけどあれなのかなぁ。
 
(前日に食べた魚、パロメタ:ピラニアの仲間)
 
 
 
13日の時点で下痢が7回。
夜中に日にちをまたいで2回して、9回。
 
もう何かを食べるのがこわい。
食べた瞬間にトイレに駆け込む。
態勢を変えただけで腹に激痛が走る。
 
激寒いのと激暑いのが交互にくる。
 
 
 
1番嫌なのは、下痢出そうなのにいつもトイレが埋まってること。
 
男子トイレは2つしかない。
 
しかもシャワーも一緒だから、シャワー入られてたら我慢の時間の油汗がすごい。
 
もっとトイレを増やせ。そこまで歩くことすら辛いんだぞ。またせないでくれ。たのむから。
 
 
 
子供たちが僕の順番を抜かしてトイレに入った。どうしようもない気持ちに駆られる。苦しい。
 
 
 
 
この状況で休む場所がハンモックってのも結構キツイ。
ベッドと必ず空いてるトイレがある場所での闘病が羨ましい。
 
 
闘病は絶対にハンモックよりベッドの方がいい。
 
 

食事との闘い、敗北の嵐

 
一夜明けてからご飯が始まる
 
14日
朝6時半 スープ麺 パクチー味
 
 
 
昼11時半 鶏肉蒸焼き飯
 
 
 
夜16時半 鶏ガラ雑炊
 
 
 
 
毎ご飯で下痢が出た。
 
 
朝飯の時に至っては、ご飯をもらいに行こうと立ち上がった瞬間にトイレに駆け込んだ。
 
 
 
 
 
2日目の夜ご飯が終わった時点で、下痢は14回。
 
まだ一度も固形物は出てこない。
 
 
 
 
 
15回目の下痢、1階のトイレがあまりに並んでたので、2階を目指す。
 
2階のトイレは電気が点かず、上のシャワーが緩んでいて水が頭に垂れてくる。
 
 
 
 
真っ暗だし頭ビチョビチョだけど、長時間待つよりはずっとマシ。
 
 
2階から1階に戻る時、強い風が吹いて体と頭が一瞬で冷え(頭は垂れた水で既に冷えていた)、ハンモックには戻らず1階のトイレへ。
 
 
16回目の下痢が出た。
 
 
 
 
 
 
ハンモックに戻ると、悪寒がして激しく体が震え、またトイレに行きたくなった。
 
 
17回目の下痢だ。
 
ここで初めて固形物が混ざって出てきた。
 
トイレから出ると、経由地の村に着いていた。
 
 
 

後悔すべき冒険

 
7月14日 21時
Contamana村に到着。
 
売り子たちが乗ってきたが、乗客の半数以上が下りていた。
 
明日の朝5時までここに止まるらしい。
 
僕は下りられそうにない。
せるとすみけんに薬と飲み物とおしりふきのおつかいをたのんだ。
 
 
 
買ってきてくれた薬を飲んだ。
薬局の人に症状を伝えたら、ここ数日村の気候が悪いかららしい。
 
僕がこの村に着いたのは今日だ。
 
 
 
 
22時半
みんなが船に戻ってきて少ししてから腹痛が和らいだので、村に出てみることにした。
 
夜ご飯も早かったし、お腹が空いている。
なにか売ってるかな。
 
 
 
なにもない。
船にみんな戻ったことで、店は全部しまったらしい。
 
一軒も残さず全部。
 
 
 
 
 
久しぶりに歩いたからか、途中でお腹に激痛がきた。
 
 
 
野糞をしてしまった。
 
 
 
 
村に出て何も買えず、ただ野糞をしてしまった。
 
人としての尊厳を失いかねないことだ。恥ずかしい。人には言えない。
 
 
我慢するとかそういう話ではなかった。自動的に流れ出てきたのだ。
 
クソ、まだダメだったか。
 
 

船内に潜む嘘つき

 
7月15日
朝ご飯は甘いお粥のようなものだった。
 
 
ありがたい。
 
 
 
 
 
 
早めのお昼ご飯を食べ終わった後、20回目の下痢がでた。
 
記念すべき20回目も水分のみだった。
 
 
 
 
 
13時
Orellanaという村についた。
 
おりたい。もう野糞はしない。
 
 
どうやら売り子たちと新しい乗客が乗ってくるだけで出発するらしい。
 
 
 
おりたそうな雰囲気を出していたら、オネエコックがおりても大丈夫と言った。
 
 
数分後、船は出発した
 
 
おりなくてよかった。
 
オネエコックは危険だ。
 
 
 
 

「旅の終わり」という名の光

 
 
16日
11時40分頃
Samanという村に着いた。
 
下痢は、さっき24回目が出たところだ。
 
 
 
14時20分
Juancito という村に到着した。
ポップコーンとゼリーとパッションフルーツジュースを買った。一つ50センタボ(約16円)と安すぎた。
 
 
 
 
 
 
25回目の下痢が出た。
ちょっと固形物が混ざってきた。
 
 
 
 
 
17日朝
28回目の下痢。
よくなってきてはいるが、まだ下痢だ。
 
 
 
18日の朝
31回目の下痢が出た。
 
 
そろそろイキトスに着くらしい。
やっとだ。やっと終わるんだ。
 
 
早く安心したい。
 
 
 
 

最後に

 
 
以上が、瀕死状態の僕が残したメモ書きです。
 
 
最後の「早く安心したい」が切実すぎますね。
 
この言葉には、「平らな所で寝たい」、「並ばず入れるトイレの側にいたい」、
「薬局とか病院がある町にいたい」、「病にいい食事をとれる環境にいたい」など、様々な意味が含まれています。
 
 
 
 
僕のハンモック船旅はこんな感じでした。
 
正常状態ならハンモックで寝ることも、川の水でシャワーを浴びることも、並んでトイレに入ることも余裕なのですが、この時は本気で辛かったです。
 
 
 
これから乗る予定の方は参考にしてください。(なにを?)
 
 
 
あと、食中毒には気をつけてくださいね。
ほぼ何もできずに船旅が終わりますから。
 
まぁ病院行ってないんで、本当に食中毒だったのかはわかんないですけど。
 
 
 

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